抜粋と

「あなたから離れることは、とてもできない!わたしはたたかって、はげしくたたかってますが、いったいそれが何の役に立つでしょう、なにしろ鍛錬も足りず、弱くて意気地がないのですからね!生まれつきの性質とわたしはたたかうことはできませんよ!そうでしょう?できませんよ!逃げだそうとしても、本来の性質がわたしの裾をしっかとつかんで離さないのですからね。いやらしい、なさけない無力ぶりですよ!」(チェーホフ、不幸より)

これは若い人妻に恋する青年の言葉だが、感動した。続いて

「でもそんなふうにたたかっても、きっと何も生まれやしないでしょうがね。われとわが額をぶちぬくか、それとも…それこそ馬鹿のように飲んだくれるか。とにかく、ろくなことにはならぬでしょうよ!ものには限度というものがある、自分の性質とたたかうにしても同じことですよ。いったい、どんなふうに狂気とたたかえばいいんです。酒を飲んであなたは興奮しないでいられますか。わたしに何ができるっていうんです、あなたのおもかげが心にかかって、しつこく、寝てもさめても、ほら、この松の木のように眼のまえに立ちふさがっているんですからね。ああ、どうか教えてください、わたしのあらゆる考えや、願いや、夢が自分の手を離れて、心のなかに巣くった何かの悪魔のものになってしまっているのに、このいまいましい、みじめな状態から逃れるためには、どんな大事をなしとげなければいいんですか。わたしはあなたを愛しています。そのために常軌を逸して、仕事も親きょうだいもほうりだし、自分の神も忘れてしまったくらいですからね!こんなにも人を愛したことはありませんでしたよ!」

ああ文豪はすごい。よくもここまで書けたものだ。そうなんだそうなんだと膝をたたいて両手をあげたい。よくもここまで言ってくれたと。