夜はすんまへん

いつの間にか一年近くが経ってしまった。
祈ることを失ってから。なんでこの信仰をしてるんだろう。叶えたいことがない。きっと変われるなんて思ってない。だからはじめから期待すらしていない。全部無意識にやってんじゃないのか。惰性でしか生きていない。
希望をもつことって大変だ。希望ってあるものじゃなく、自分で作っていかなかったら無いんだなってつくづく思い知らされながら、誰かが、何かが、状況を変えてくれるのを待っているような意気地なし。気休め信仰だ。はなっから変わろうなんて気はないんだから。夜は自嘲がとまらない。夜は嫌い。
なんで自分はこうなのかなんて理由なんかいらない。知らなくてもいい。分析したって現実は変わってくれやしない。問題はどうしたら抜け出せるのか。
それはきっと信仰にあるのだろうと、まだしがみついていられる。