読書日記

「いかがですか、この頃は?」
「あいかわらず神経ばかり苛々してね」
「それは薬では駄目ですよ。信者になる気はありませんか?」
「もし僕でもなれるものなら…」
「何もむずかしいことはないのです。ただ神を信じ、神の子の基督を信じ、基督の行った奇蹟を信じさえすれば…」
「悪魔を信じることはできますがね。…」
「ではなぜ神を信じないのです?もし影を信じるならば、光も信じずにはいられないでしょう?」
「しかし光のない暗もあるでしょう」
「光のない暗とは?」
僕は黙るよりほかはなかった。彼もまた僕のように暗の中を歩いていた。が、暗のある以上は光もあると信じていた。僕らの論理の異なるのはただこういう一点だけだった。しかしそれは少なくとも僕には越えられない溝に違いなかった。
(芥川龍之介、歯車より)
誰も自分は救えないという確信。自分に幸福な生活なぞないという確信。つきつめて考えてしまえばそういう結論になるだろうが、詰まってしまう。つき抜けていけない限界は信仰のない悲しさだ。
自殺することによって芸術が完成したなんていう奴は信用できない。死んでしまうような芸術なんていらない。結果として残ったものは大事だが、そんなことを言っていたら本末転倒する。芸術が主ではない、人間が主だ。芸術に挑む人が、芸術がために命をかけてやる姿勢は姿勢として、根底に流れる人間のための芸術という哲学は忘れてはならない。当人にそのような気はなく、芥川を前向きに評したかったとしても、自殺によって芸術を完成させたという言い方は誤解を与える、社会に悪影響を与える。

とにもかくにも、お前みたいな人間は、自分ばっかり見ていたら、ますます苦しくなるばかりだ。
人間の中に飛込むこと、他人のために働くこと、そこにしか平安はないのだろう。
信じられなくとも、ここを進むしかない。そこにしか道はない。
ゆっくりゆっくりで。よいことはカタツムリの速さで進む、とガンジーも言っている。