読書日記のすすめ

芥川龍之介の作品はうまい。天才だ。だが救いもない。特に後期の「死ぬよりほかありませんでした」みたいな内容を何故わざわざ読むのか。
名著といわれてるから?
人間が練れるから?
ともかく読書はよいって言われているから?

読み終わってどうでしたか。
人生を悲観した?
死にたくなった?
諦観をもった?
じゃあ何故わざわざ読んだのです。人にも勧めるまでいかないまでも、なぜ悪書だとしないのか。
人にはいろんな感情の出方がある。ともすれば芥川のように生きることを苦しみ、諦めてしまうこともあるかもしれない。そんな時にそのとおりだよ、書いてあるとおりだ、もうだめだと流されるのか。
いや違う、私は前向きに戦っていく。諦めずに明るい未来を戦い、勝ち取るというのか。
結局は自分はどう生きるのか、それを考えるための糧とするのでなければ、ぐだぐだゲームをしてるのと変わらない。
読書といえるかどうかはそこで決まるのではないだろうか。それを確かめ、自分は何を感じ考えたのかを読書日記に綴るという行為をもつことによって、読んだ記憶が風化する前に思索できる。
例えば芥川は読んで思索する時間を持たないならば、諦観を植え付けられて終わってしまうのではないか。