念のため

高校の校歌に「〜するのはなんのため」ってフレーズがあった。今思うとよくも一生懸命歌っていたなと思う。素晴らしい歌だ。
その歌詞を「〜するのは念のため」と茶化してた人がいたのを思い出した。それでふと考えてしまった。念のためでどこまで出来るのだろう。この際魂がこもってるとかこもってないってのは問わない。
「〜するのは」には全部で五コあり。歌詞の一番から、英知を磨くは、情熱燃やすは、人を愛すは、栄光目指すは、平和を守るは。となる。
英知を磨くのは念のために出来そうだ。その善悪の方向性を問わなければ。
情熱燃やすのは結構ハードルが高い。かなり高い。てか無理。イメージ的に合わない。それは情熱ではないだろう!と叫びそう。
人を愛するのはなんかどうにも無理そうに思う。念のために愛するってフレーズがもう有り得ない。でもその姿勢はすごく好きだな。なんかなげやりで。
栄光は…、言葉の定義自体が最もあいまいでかなり難しい。パス。
平和を目指すのはこりゃよさげ。念のために平和を守るってなんかなりゆきでイラクに行った自衛隊員っぽい。そんなこと言ったら自衛隊に失礼だけど、消極的な平和活動って感じでいいな。いや、よくないけど。
結論はない。ただなんのためってかなり前向きな姿勢で言葉自体に圧倒されちゃう。それに圧倒されてる今はこれ以上危ないこと言えないよ。