命の輝き

昨日最後の介助のバイトにいった。
このバイトに出会えて本当に良かった。

知的と身体両方に重度の障害をもつ方々4人のグループホームに泊まりで介助をするのだが、毎回楽しくて幸せでたくさん笑って、本当に涙が出るほどに素敵な時間を一年と半年位も過ごさせてもらった。

その四人のうちの一人の方が先日亡くなった。突然の死に唖然とした。
昨日は利用者さん(グループホームの住人)が12時位に全員寝たのでそれから二時間位思い出話をした。
一番印象に残った話を留めおきたい。

その亡くなった方はもう40代の方で、そのお父さんは重い障害のある息子さんを決して愛してないとか嫌いなわけではないが、重い障害ゆえに周りの人に迷惑をおかけして申し訳ないと思っていたそうだ。
しかし亡くなってから弔問に訪れる人の数がとてもとても多く、訪れる人が皆、心から死を悲しみ、本当に多くのものを頂いたと挨拶して帰られると。お父さんはそれで重い障害をもって生きてきた息子さんを見直した。という話。


亡くなった方はてんかんの発作を抑える薬のせいで、ほとんどしゃべることもできなかった。トイレもお風呂も介助してもらう。
障害がなく普通に暮らしている人から見たら、一人ではなにも出来ないと思われるほど障害が重い。

でもその方と一緒にお気に入りのサザエさん笑点を見て過ごすことの楽しさや、一緒に過ごす時間の暖かさ、喜びは言葉では現し難い。

それを思うと生きていること、生物のもつ科学では絶対に理解出来ない大きな、言葉通り不思議な力に思いをはせる。そこに言葉があるかどうかなんて簡単に超越し、厳然と生のエネルギーがそこに輝いている。


生命ってなんだ、生きるってなんだ、人間ってなんだ、幸せってなんだって考えるエキスが凝縮している。

生きるってことはどんな人でも一人では無理だし、どんなに自分を卑小に感じていても誰にも影響を与えていないということはまずない。

僕はもっとこの亡くなった方とたくさんの時間を過ごしたかった。生きるってどんだけ苦しくとも、未来が見えなくとも、それだけですっごい力があるし、それだけで光を放っている。

経済的な理由などでその光が雲にさえぎられることのないことが必須だ。

現代の日々に流されて気付けないその光を感じ続けていくんだ。

一年ほど前に友だちから聞いた言葉の意味がまた深く響いてきた。
「私はたとえ呼吸だけしかしてないような命でも死ぬよりはずっといい」